あげそげコラム

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コラム掲載号:20170908

松本薫さんの小説「ばんとう」発刊

 「ばんとう・晩登~山陰初の私立中学校を作った男」(松本薫著)が発刊された。

 由良育英高(現・鳥取中央育英高)の前身「育英黌(こう)」は百六十一年前、由良宿に生まれた豊田太蔵(たぞう)が創始者だ。父は由良藩倉の役職にあり、太蔵は父の高邁な識見を学んで「日本を支えるには子弟教育の充実以外に道は無し」と悟り、1886(明治19)年30歳で中学校の私塾開設を思い立つ。

 私財を投げうち、実に20年間の準備期間を経て1906(明治39)年 県知事の許可を得て、「私立育英黌」を開設した。1914(大正3)年、太蔵40歳の時、文部省の認可がようやく下り、「鳥取県私立由良育英中学校」の看板を掲げ、1920(大正9)年「鳥取県育英中学校」と改称した。

 その間、鳥取県教育誌にあるように、幾多の苦難を経て学校運営にあたり、多くの人材を世に送り出した。変人扱いされつつ執念の事業に一生をささげた太蔵の尽力による。太蔵はまず己に勝つことの重要性を教え、生徒に「克己」と説いた。

 また「秀才もおれば度外れの者もいた。どうにもならない者も教育するのが真の教育者だ」と語るなど、豪放磊落な性格は多くの逸話を残している。

 学校はその後、戦時中の女子中学校時代を経て「県立由良育英高校」となるのは、さらに30年後の戦後1951(昭和26)年の事だった。ご承知のように体育教育にも優れ、陸上競技での全国版の活躍をはじめ各方面に偉材を出している。名探偵コナンの青山剛昌氏もこの門を出た。今年創立百十周年を迎える。

 小説では太蔵の生活とその執念、県立中学校が倉吉に出来て危機に見舞われる苦難や周囲の協力などを、この時代に活躍した大庄屋・武信佐五右衛門・武信潤太郎、薩摩の英雄・西郷隆盛などを登場させながら感動のドラマとして描いている。

 表題の「晩登」は太蔵の号である。

 

 A5判ハードカバー三百八十頁。販価千五百円+税。発行=鳥取県立鳥取中央育英高等学校同窓会。印刷=今井出版。本は今井書店と関連の書店で。(アマゾンも取扱う)

 著者は山陰に松本薫ありと知られ、郷土の傑物を本にまとめている。映画にもなった『梨の花は春の雪』『夢はヴァイオリンの調べ―鷲見三郎を探して』『謀る理兵衛』『ビバ!彫刻』『TATARA』『天の蛍』など。

 挿絵はこの学校が母校の森井裕子(蔵りすと)さんが依頼されて、線細ペン画により、口絵にカラー版一枚、文中に五枚の絵が挿入されて、母校育英が未来に続いてほしいとの願意を込めて、往時を再現している。

    (河中信孝)

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