南部町の癒しのスポット「おちらと庵さえき」は佐伯勉さん・妙子さん夫妻が頑張っておられるが、今月は勉さんの手作り額縁を展示即売している。
作品は大小四十六点、小は十センチ角~葉書サイズからA3~七十センチサイズもあり、特大のものから売約済みとなった。痛い肩をいたわりつつ、欅、栴檀、桑、樫などを材料に、削り・磨き・漆をかけて作り上げたもの。高級額縁として珍重されている。
おちらと庵は西伯町福成、法勝寺に向って左側、森医院の看板を左に入ると、突き当りをさらに左に、そして最初のT字路を右に曲がると、正面にある。
昼食は予約制で1620円、勉さんの手打ち蕎麦は限定10食860円となっている。コーヒーもイケる。
来月は額縁展第2部。額縁だけでなく、それを使ったアーチストの作品展も兼ねて、アート展となる。
企画展7月は神戸・三田から金継ぎの先生が展示され、ニュウの入った陶器などリーズナブルな値段で修復してもらえるそうだ。十月は安倍朱美さんの人形展を予定している。
問合せ0859-66-2004
辺野古が新基地な理由
日本の面積の0.6%の沖縄県に日本の米軍基地の74%が集中している。
1995年(平成7年)の沖縄米兵少女暴行事件を契機に、沖縄の米軍基地反対運動や普天間基地の返還要求をする運動が起こり、1996年当時では、5年から7年以内の返還を目標としていた。1997(平成9)年には、名護市辺野古付近に移転すれば返還されるものと考えられている。
しかし、琉球大の我部政明教授は米海軍省が92年6月に作成した「普天間飛行場マスタープラン」に「将来のオスプレイ配備に備え、普天間飛行場の北西部を整備場、駐機場として確保する」として予定地を図示。その上で「既存施設はこの目的(オスプレイ配備)のためには十分でも適切でもない」と記していた。米軍側は普天間では米軍の基地の安全基準自身に問題があるなど「制約がある」として、少なくとも三年前から代替地を求めていたことになる。
辺野古は普天間を返還すために移転するという形をとっているが、実は返還運動を勿怪の幸いとして、普天間を捨て、普天間とは比較にならない基地機能をもった新基地を建設するつもりで強引に進められていることが明らかになった。
辺野古にはⅤ字型滑走路二本を含む新基地の機能が含まれており、普天間の移転などというものではない。基地返還や基地軽減というものではなく、強化だと言われる。翁長知事をはじめ、沖縄の民意が辺野古反対にまとまるわけでもある。
(河中信孝)