あげそげコラム

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コラム掲載号:20170113

祐生の絵暦

 板祐生は、家は貧しかったが、高等小学校まで学ぶことができました。秀才だったので、担任の先生の計らいで教員となることができました。向学心があり、好奇心が強く、その上絵を描くのをことのほかこのみました。祐生の好奇心は、当所絵葉書収集に向けられていましたが、出会う人たちが広がるたびに収集物の範囲も拡大し、ポスター、郷土玩具、駅弁の掛け紙等々にも及ぶようになりました。

 

 ついには、東京の趣味道楽「我楽他宗」33人の一員となり活躍するところまで到達しましたが、田舎の貧乏教員の交流できる相手ではありませんでした。しかし、我楽他宗の人々は祐生を差別なく付き合ってくれたことから、この人たちに報いるためのモノづくりを模索した結果がガリ版を活用した孔版画でありました。

 

 祐生は全国から送られてきた郷土玩具をはじめとした各種資料をもとに、ガリ版で私家本を刊行しました。祐生のガリ版版画は工夫に工夫を重ね、私家本は評判を呼んで収集物は増加の一途をたどりました。

 

 このような中、昭和10年に開始された版画作家による年賀状交換会50人のメンバーに招かれることになりました。当初は断った祐生ですが、主催者の武井武雄の熱烈な勧誘によって昭和11年から参加しました。  版画作家との交流は祐生作品を芸術へと導き、昭和21年からは、自らの記録として「絵暦」制作を行いました。当初は郷土玩具や動植物を描きましたが、次第に文字も図案化して句入りのものを作るようになり、まさに芸術作品となっています。

 

 祐生の作った孔版画は、心優しい祐生の人柄が表れています。子供に先立たれた悲しみに加え、地元をはじめ全国の人々の温かい支援がその作品に凝縮されているかの感がします。

 

 

昭和24年絵暦
↑1月絵柄↑2月絵柄

 

 

お問合せ

 南部町祐生出会いの館 南部町下中谷1008

TEL0859(66)4755

祐生出会いの館  猪原加代子

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