あげそげコラム

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コラム掲載号:20231110

「網野史学を再読する」大野秀氏

 元米子市立図書館司書 大野秀氏は退職後も読書・書籍の関する旺盛な研究や提起を続けておられ、一昨年は「大人のための読書100選」を発表して、その中の書籍を逐次選んで講演会を開いておられる。今回は異形(いぎょう)の王権―「網野史学」を再読するとして講演会を開催される。

 

 

十一月十八日(土)13時30分~15時、講演は元米子市立図書館司書 大野秀氏。 会場は米子市立図書館2F多目的研修室。定員80名。(十一月一日現在、五〇余名が申し込み)

 中世史学者・網野善彦氏は江戸時代から続く地主網野家の当主・勝丸の末男として山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市御坂町)に生まれる。曾祖父の網野善右衛門は実業家で、山梨中央銀行の前身のひとつである網野銀行の創業者だった。実父の勝丸は甲州市塩山の旧家出身で、久政の長男・広瀬久忠は善彦氏の叔父にあたり、右派政治家で戦前には山梨県初の大臣(厚生大臣)を務め、戦後には参議院議員となった。善彦の幼少期にはこうした右派的政治環境があったことが指摘されている。

 幼少期に東京市麻布区桜田町(東京都港区西麻布)へ移住。白金小学校卒業後、1940年(昭和15年)、旧制東京高等学校尋常科入学。旧制東京高等学校高等科文科を経て、1947年(昭和22年)東京大学文学部国史学科入学。

 1950年(昭和25年)3月に東京大学文学部国史学科を卒業。

 1954年(昭和29年)4月から永原慶二の世話で東京都立北園高等学校の非常勤講師(日本史)として勤務。同年5月には日本常民文化研究所の同僚だった中沢真知子と結婚。

 1956年(昭和31年)6月、正式な教諭となり、勤務の傍ら東京大学史料編纂所に通って古文書を筆写、1966年に『中世荘園の様相』を著す。

 1967年(昭和42年)同校を退職し、名古屋大学文学部助教授に就任し、名古屋に転居。

 1978年(昭和53年)に『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』が学術書としては異例のヒットを記録。  1980年(昭和55年)10月に神奈川大学短期大学部教授に就任。1998年(平成10年)3月に定年退職。  2004年(平成16年)、東京都内の病院にて肺癌で死去。享年七十六歳。死去時には、ル・モンド紙にも記事が掲載された。

 

(河中信孝)

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