あげそげコラム

一覧はこちら

コラム掲載号:20201120

企画展「西伯耆の発掘史」

 米子市の国道百八十一号線沿い、福市考古資料館(米子市福市461-20)で企画展「西伯耆の発掘史」が開かれている。十二月七日まで。(毎週火曜日と十一月二十五日は休館)9:30~17:00観覧無料。
 西伯耆の遺跡は上淀廃寺跡など数多いが、百八十一号線沿いでは青木遺跡、福市遺跡が著名だ。
 青木遺跡は山陰を代表する丘陵性集落と墳墓群として注目され、四〇ヘクタールの遺跡からは、総計九百九十五の遺構と土器、石器、金属器、玉類など生活用具と、古墳副葬品など数万点が出土した。年代は、縄文時代晩期から中近世にわたり、大部分は弥生時代中期から奈良時代にかけての住居跡と古墳。うち4ヘクタールが国の史跡に指定されている。
 福市遺跡は米子市福市の丘陵上、東西 五百m、南北 四百mの範囲に弥生時代後期(3世紀)から古墳時代後期(6世 紀)にかけての住居跡、土壙墓、古墳、横穴墓、 柱穴群、溝などの合計百三十三基の遺構が埋設保存されている。集落跡と墳墓群が区分された配置で一体となっているのが特色で、また住居構造、集落の変遷を知る上でも重要な遺跡とされる。一九七〇年国の史跡指定を受け、周辺は福市遺跡公園として桜、つつじ、花菖蒲も植えられ、市民の憩の場となっている。
 この遺跡の保存運動は米子市の住宅団地か遺跡保存かのはざまに揺れ動き、考古学研究者が工事と並行し、ブルドーザーに追われながら、また毀誉褒貶を浴びながら発掘調査を行い、山陰の古代集落跡解明の先駆けとなった。市民の保存運動が実を結び、国史跡として保存された。遺跡の保護が保存運動とリンクした研究者と調査団によって実施され、極めて困難な状況の中で多大な成果をあげ、以後の全国の遺跡保存運動の範となった。
 その後、この公園は一時荒れはてていたが米子市と米子錦ライオンズクラブ・地元福市二区振興会が五〇年にわたり整備・清掃を行ってきた。筆者にとっても感慨深い遺跡だ。

 

(河中信孝)

↑ページ上部へ