昨年5月16日、あげそげコラムデビューの際に母のことを綴りました。
1月末の満91歳前日に大腿骨骨折。手術後の経過が良くリハビリはすこぶる上等!「要介護3」でシャワー椅子やベッドを借りたものの「要らない」と返却。
猛暑・酷暑の夏も心身ともに穏やかに過ごし、現在歩行器だけレンタルし一人暮らしを続けています。デイサービスの利用をせず、週1回の私の訪問、ケアマネージャーの来訪が楽しみのようです。
山あり谷あり
ところが、秋風が冷たくなるころ、お腹を壊してあらぬところで大失敗!後始末ができず玄関~トイレまでが大変なことになっていました。
かなりの難聴、認知機能の低下のためか連絡もなく、事件から1日以上経過している感じ!大掃除中の私を、寝たまま遠目で見つめながらも蜂蜜を塗ったパンをむしゃむしゃ食べている母。 その時から布団に伏しがちになり、返事をしない、はねつける、心にもないことを要求するなど幽霊や鬼に変化鶴のです。周期的なマイナー行動は更年期頃からのバイオリズムの様に現れ、一時的な「認知症」増強期間になるのです。
補聴器をつけないと会話が通じない母。ここ何年もノートに書いて想いを交換しているが、こんなときは会話してくれない状態になるのです。
過去の経験から心の裏にある「さみしくてたまらない」思いを察し、室内を整え、冷蔵庫内の食材をリメイクして食事をつくり、ノートに書き残して静かに「また来るからね」と声をかけて静かに退散。顔を向けてくれたら必ず「にっこり」と努力します。
私には苦顔でもケアマネさんへの対応は笑顔だったりもするのですが、晩秋は泥沼に入ったようでした。
寒い冬は特に沼が深くなるので折れそうになる私でしたが、根気強く訪問を続けるうちに瞬間的にスイッチが入ったのです。クリスマス前でした☆彡
「100まで生きる」
最近は「私のために雪が降らない」「100まで生きる」と痛む足をかばいながらの自主リハビリは歩行器での遠出。「お風呂で温まると痛みが楽だけど、やっぱり痛いね~」と内服と湿布を欠かさない母。
年が明け1月の半ば過ぎ、日差しの眩しい朝ひとりバスに乗り川土手を200m余り歩いて我が家の玄関を「ピンポ~ン♪」
私はビックリ&うれしい気持ちでいっぱいになりました。リフォームした部屋を隅々まで眺めて「イイねぇ♡」と笑顔満面の母。次の認定で「要介護1」に戻るだろう希少な存在でしょう。 このまま 春よ来~い♫ と つぶやいた私。
笑(しょう)らいふ
代表:看護師・姿勢教育指導士
熊谷 春美 (くまがえ はるみ)
(米子市車尾在住)