あげそげコラム

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コラム掲載号:20180406

映画「未来を花束にして」十五日に

 1912年のイギリスでは女性に投票権も親権さえも認められていなかった。ロンドンでは女性による参政権運動が先鋭化していた。原題の「サフラジェット」とは、女性参政権論者の中でも、WSPUというハンガーストライキや放火などをも行う過激な団体を言う。

 モードは夫と息子の三人で慎ましく暮らす若い主婦。ある時活動家の友人の代わりに公聴会で証言して、女性の現状に初めての疑問が生じる。WSPUのデモに参加するようになり、夫から離婚させられ、息子とも会えなくなる…

 日本では日野町出身の生田長江(ちょうこう)が『青鞜』の発刊を平塚らいてうに勧めた一年後のお話、実話に基づいた「女性の権利」確立のための先進的運動の一つ。 

 

 

米子シネマクラブ例会4月15日(日)①午後1時~②午後7時~(上映時間106分) 米子コンベンションセンター(小ホール)月会費大人千円中高生五百円。入会金500円(新入会の方は入会金と会費2か月分が必要。当日入会可)

 後年この運動の評価は分かれ、女性の権利獲得に貢献したのかが問われている。問合せ 090-8248-9810

 

沖縄の苦しみを忘れ…てはならない。昨年末十三日、米軍大型ヘリコプターから窓が市立普天間第二小学校の校庭に落下した。窓は金属製の枠がつき、重さは約8キロ、一番近くにいた児童から約十メートルの距離だった。以下毎日新聞の記事を参考にさせていただく。

 事故の報道後、第二小に「やらせじゃないか」といった電話が相次いだ…東京在住という男性は「戦闘機と共に生きる道を選んだくせに文句を言うな」と言い放った。

 改めて事実を確認したい。普天間飛行場の敷地はかつて約1万4千人が暮らしていた宜野湾村(当時)の中心地で、村役場や学校があった。太平洋戦争末期、終戦の年の4月、沖縄本島に上陸した米軍は、住民を収容所に入れて一帯を占拠。6月には、飛行場建設を始めた。その後、住民は帰村を許されたが…飛行場の周辺に住むしかなかった。

 児童数が増加して第二小が分離開校したのは二十四年後。用地を買うために政府の補助を要請したが実現しなかった。校舎は普天間飛行場のフェンスの隣に建設せざるを得なかった。

 窓が落下して五日後にはヘリの飛行は再開された。過重な基地負担の上「沖縄ヘイト」で痛めつけられる不条理な現実と、どう向き合えばいいのだろうか。

(河中信孝)

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